シンクロニシティー、ウィキペディアでは「意味のある偶然の一致」、日本語訳では「同時性」や「共時性」を指して言うとあります。
通常、ランダムに起こっていたはずの複数の出来事が、まるで因果性があるかのような形で一致した時にシンクロニシティーと表現するようです。
偶然的シンクロは統計学や確率論で証明されるものとして、あくまでも偶然は偶然であるという見方があります。
それに反して、100匹目の猿のように時空を超えたシンクロや、時系列に添わないシンクロなどもあり、科学では証明できないそれらはすべて個人や集合の意識、そして多次元意識が起こす必然的シンクロであるという捉え方もあります。
また、シンクロの連続によって願いが叶ったり、行動を強制されたり制限されたりするパターンや、メッセージ性のあるものまでさまざまです。
シンクロニシティーは偶然か必然かということですが、私はある時から必然を確信することになります。
それは、前々からの夢だった海辺の村に住み始めたばかりの時でした。
始まりは、2011年11月11日、めったにないゾロ目の日。
験担ぎ(げんかつぎ)に、この日を選んで転居届を出すことにしました。
どうせならと、11時11分ちょうどに書類を提出しました。
役所の大きな時計を指さして「今、2011年11月11日11時11分、ほらほら」って窓口の人にルンルンしながら話しかけていました。
すると、少し微笑んではくれましたが 「だから何」 みたいな反応。
たぶん彼女は疲れていたんですね。^-^
届けを済ませたあともそれが尾を引いて、「そうだよな、ゾロ目だからどうしたの」 「還暦前のおっさんが、子供みたいに」
「いや、子供の心を忘れたくないなぁ」 とかブツブツ言いながら車を走らせていました。
なにげなく対向車のナンバーに目が行く。
「1111」
「おおっ、なんと!」
「でも最近は5千円出せば好きなナンバーをもらえるので、ゾロ目の車が増えてるしな~」「それにしても偶然だな~」を打ち消すように、5555、8888。
いちいちナンバーを見ながら走っているわけでもないのに。
「なんでだろう、なにかの力が働いてゾロ目だけに目が行くのだろうか?」
「それとも、歳のせいで頭が、、、」「いいや、関係ない!」 またブツブツ。
そして携帯電話が鳴る。
デジタル表示は12時22分。
次の電話13時33分。
「最近実家に電話していないな~」 瞬間母からの電話、携帯のデジタル表示は15時55分。
だったとしても、普段はそんなことに気付くはずなんかないのに。
駐車場に車を止めたら、「あなたの車、ナンバーは764でしょ」 「ほら、隣の車二台が476と674、三台並んで三桁の上に数字も7と6と4だけ、おもしろい偶然ですね」って。
私が気付かなければ、今度は知らない人が寄って来て教えてくれたりするんです。
この数字のシンクロはまだまだ続きます。
そしてこの日最後の電話着信、デジタル表示は22:22。
この頃には電話を切っても、何を話したかも覚えていない状態になっていました。
「あの~、どなたか見えない存在のいたずらか何かですか?」
「それとも何かのメッセージですか?」 と言わざるを得ない出来ごとでした。
もちろん返事はありませんし、あっても私には聞こえません。
この日、これが偶然ではなく、強いメッセージ性を持っていることを感じた私は、嬉しさ半分、怖さ半分で体が少し震えていたことを覚えています。
一日でシンクロ二シティーの必然性を確信したわけではありませんが、あの日から5年が過ぎ、シンクロは私の「意図」によって少しずつ形を変え、願いを叶えるべく今でも同じように続いています。
シンクロニシティーはよく観察すると、自分の深層部の意識と感情が大きく影響していることが分かります。
そして、その意識や感情に合わせた世界を具現化すべく、朝から晩までシンクロは常に起こっています。
例えば、忙しすぎて時間がないという心境になった時に、申し合わせたかのようにいらない用事やトラブルが頻発しだします。
待ち合わせギリギリの時間に家を出ようとしている時に、携帯ではなく固定電話の方に電話がかかってきたり、その上に、嫌いだけど無視できない相手からの込み入った話だったりで出発できない。
輪をかけて時間が無くなっていきます。
これは、明らかにシンクロニシティーであり、気付きへのサインでもあります。
意識していなければ「もう、ついてないなぁ」ぐらいのことで済ませてしまうので、状況が変わることはありません。
時には、ますますイライラがつのります。
今この瞬間に感じているものが、時間がなくてイライラしているのであれば、その感覚が持続するように、深層部の思いや感情にシンクロした現実を具現化すべく、シンクロニシティーが起こり続けます。
この状況から抜け出すため、普通私達は頭と体をフルに使って各案件ごとにクリヤーしていきます。
しかし、走り続けている限り、この状況は永遠に解決の方向には向かいません。
ゆく先々で信号や、混雑、渋滞、車の不調、駐車場がない、身の回りに世話のやける人が増える、想像を超えて今の心境が願いとして叶い続けます。
そういう時の悪い予感は感情が大きく現実に影響している時なので、その通りによく当たります。
「やっぱり、そうなると思ったよ」「ついてないんだから~」というふうに。
よくよく観察してみると、この状況が解決するタイミングは必ずと言っていいほど、あきらめた時か体の不調などで開きなおった時に起こっています。
これは、「時間がないのです」というアファメーション(宣言)を止めた時ということになります。
結果的に起こるシンクロニシティーは、「今という瞬間に発した感情」を持続的に体験するために、起こっています。
このことは私の経験から明らかに断言できます。
見方を少し変えれば、今瞬間の感情が自分の願いとなっており、常に叶っていることになります。
とすれば、「今という瞬間」に「ポジティブな感情をキープ」していれば、それを打ち消さない限り、ポジティブな現実が続くことになります。
自分を絶えず俯瞰/客観視することで、この法則性には誰でも気付くことができます。
私は自分の内側を探求するうえで、このシンクロの観察が必須であることを知り、気付いたことを忘れないようにノートに書き留めるようになりました。
それをブログにしたのは、どこにいても更新できる便利なツールというのが理由です。
手探りで始めたブログはすでに「自分という不思議」のタイトルで、61稿まで書いています。
時を経るにしたがい、今まですり込んだ概念や信念のようなものが少しずつ変化し、読み返してみると、いくらかの思い違いや短絡的な部分があることに気付きました。
そこでもう一度、旧ブログのコピーを訂正と新しい発見を加えてリニューアルすることにしました。
傍観して下さっている方にも感謝を込めて、なるべく読みやすくするように頑張ってみます。